トラじゃの人口問題(2
 

 前回述べたのは80100年後の住まい(敷地約80坪、床面積約50坪)の生活だったが100年はアッという間に経過するので、ここでは、さらに8000万人の人口をめざして、80100年かけて、ゆっくり減少させる。200年そこそこでは人類は到底太陽系からは脱出できないので、太陽系内での居住を充実させざるを得ない。たとえ光速の移動手段が実現しても一番近い恒星(ケンタウルス座のプロシキマ・ケンタウリ)に行くのに4.3年もかかるので近い将来実現できる話ではない。10万光年の天の川銀河を脱出するのは、夢のまた夢だ。 

 話がそれたが200年後の広島の生活は敷地400㎡、床面積200㎡(各120坪、60坪)ほどだろう。私にはこれでも狭いと感じるが、これは市街地の話ではなく郊外での話だ。市街地はビジネス中心となるので、居住性はパッとしないが、それでも、親子4人の標準家庭は敷地、床面積とも200㎡、つまりマンション生活だ。床面積が60坪ともなると、わりと好きな事が出来よう。100㎡ほどの居間を設ければ、10人ほどの来客があっても何とかなる。

 社会は省力化が進んでいるので、人出不足ということはあまり考えられない。例えば、運送やビル建設に必要ではあるが、危険が伴う仕事もロボットに代用させるようになるだろう。コントロールするのはあくまで人なので、いわゆるとび職のような職人仕事は残る気がする。ただ本人はあくまでロボット操作をすればいいだけ。

 教育でも学校の先生の代わりにロボットが教えるのは、あまり普及しないだろううね。マンツーマンだから教育なのであって、テレビが先生の代わりになるとは思えない。これは飲食業やいろいろなものの販売も同じことがいえよう。私が喫茶店のモーニングをよく利用するので云うわけではないが、自分でコーヒーを運んで飲み、自分でコーヒーカップを返却するというのはあまりに味気ない。やはり人が運んでくれるから休養になるのではないだろうか。

 医者の世界も99%はコンピューターが診断するが最後の判断はやはり人がやるはずだ。裁判も同じことで、99%はコンピューターが判断するが、最後の判断は人がやると思う。

 1回目の「人口問題」でアメリカのふんどしと書いたがあれはアメリカの宇宙船の事で、いつかは、しかも早い時期に日本独自の宇宙船を飛ばすようにしないといけないよという意味です。

(2022年8月18日)

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