冥界からの便り

 誰 もくわしいことを話してくれないので、1カ月間の集中治療室(ICU)のことはさっぱりわからない。
緊急性のない心臓カテーテル治療が思わぬ心筋梗塞を引き起こし、死の淵をさ迷ったというところだろう。
3日間はまったく意識がなく、多くの見舞客が訪れたようだがICUでの出来事自体が記憶にないので、なんともいえない。
 ただ言えることは7〜8人の看護婦さんや医師に囲まれ、娘が携帯に写したモカ君を見たのは鮮明に覚えている。
両脇をかかえられぶらさがったモカ君がいささか不機嫌に「フギャー、フギャー。」とドラ声で鳴くのを見たとき、どうしたことかボロボロ涙が出て、不覚にも泣いてしまったのだ。

 わたしは少年の頃、母から「男が泣くのは親、兄弟が死んだときだけ。」と教えられていたので、こんなバカ猫のモカ君の声を聞いて、皆のまえで泣こうとは夢にも思わなかった。ICUでの生活でよほど神経が異常をきたしていたとしか思えない、
 意識不明の3日間の出来事だと思うが、私は3回も北朝鮮に行った夢を見たのだ、朝、ベットで目を覚ますと、いつもと違う小柄な看護婦さん2人が私をのぞきこんでいる。どうもいつもの看護婦さんと違うなと思い、彼女たちの目を見ると瞳が真っ黒で茶色い虹彩がない。おまけに周りで話している言葉もチンプンカンプンで、病院の窓の外を見るといわゆるハングル語でいろいろ看板がでているではないか。周囲もえらくひなびた感じで、「ここは北朝鮮ではないか。」と直感。

 脱出しなくてはとの思いが募り、どこでどう手に入れたかわたしにはわからないが、125ccバイクで、おまけにモカ君は煮干し入りのデパックを背負ってモンキーに乗っているではないか。
 「よ〜し、じゃ〜モカ、スチーブ・マックイ〜ンの大脱走で行こう。」するとモカ君「モカのはモンキーなので小脱走だい。」とこれまたエンジンをブンブン鳴らす。どこをどう走ったか知る由もないが、とにかく韓国に達しそこから船で廿日市港に到着。タクシーに乗って自宅に帰るや風呂に入ってぐっすり睡眠。

 翌朝、気持ちよく寝ていると、「もしもし、起きてください。病院に移りますよ。」と聞きなれた声。そうして無理やり廿日市の広島総合病院に戻されたしだいだ。こんな夢を3回も見たが3日間の意識不明と回数は一致する。不思議な話だが、夢とはいえ、北朝鮮はごめんこうむりたい。
 その後、ICUに戻り1カ月。その間のことは先ほども書いたが、全然記憶になく、105日後の退院前日にICUに行き、6〜7人の看護婦さんにお礼のあいさつをしたが誰一人知っている人はいなかったので、「申し訳ないですが、誰も記憶にない、」旨伝えたとき、「よくあることです。」と慰めとも言える言葉で返事をしてくれました。

 ICU,一般病棟の看護師さんをはじめ、スタッフ一同、様々な担当のインストラクター、トレーナー、栄養士等書ききれないほどの方々のおかげで無事退院。感謝以上の言葉はわたしには表現できません。
 廿日市市の「GAL広島総合病院」はどういうわけか看護師さんの80%ほどは20〜30代のピチピチギャルさんが多く元気あふれる病院という印象です。

・・・・・?いや、まちがいまちがい「JA広島総合病院」が正式名称です。