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撮影日:
場所:好文亭 説明文は以下に転写します。

 好文亭は水戸九代の藩主徳川斉昭(烈公)が詩歌管弦の催しなどをして、
家中の人々とともに心身の休養をはかるために天保十三年(1842年)に建
てたものです。好文というのは梅の意味であって、「学問に親しめば梅が開
き、学問を廃すれば梅の花が開かなかった。」という中国の故事にもとずい
て名付けられました。
 建物は好文亭(楽寿楼、藩主の間、広縁、何陋庵など)と奥御殿(松の間、
梅の間、竹の間など九室)の二つに分かれていて、太鼓橋廊下で連絡して
あり総面積は二三三、三十八坪(七七〇、十五m)あります。
 現在の建物は戦災で焼失しましたものを昭和三十年から3ヵ年を要して昭
和三十三年に元の姿に再建したものです。