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撮影日:
場所・コメント:青莪遺徳碑(多分せいがと読むのだと思う)碑文は以下に記載する。

 この碑は十五代将軍徳川慶喜公のブレーン原市之進の顕彰碑である。
市之進は文政十三年(1830)水戸藩士原雅言の子として生まれる。
 藤田東湖とは従兄弟の関係にあった。元治元年(1864)一橋家の用人と
なり慶喜に仕える。慶応三年(1867)兵庫開港を計ったという理由で幕臣
に斬殺される。齢三十八であった。
 篆額は水戸第十一代藩主徳川昭武公で「青莪遺徳碑」の青莪は市之進
の号及び経営した塾の名。a軒も同じく号である。碑文は昌平校の同学仙
台藩の岡千仭 書は九州の吉田晩稼で明治三十年の建碑である。

 とある。なお、下線のある篆額(てんがく)とは「篆字で書いた石碑」で篆字
とは古代の文字のひとつだそうである。いやはや、この碑をここに書くだけで、
1時間以上もかかったね。