宇宙旅行はロードスターに乗って・・・・・

 

(1) 出会い

 

 庄原の郊外を写していた時、市町(いちまち)だったか本郷町だったかはっきり覚えてないのだが、近くに円通寺というお寺があったのは記憶にあるので、ま、要するに庄原市の西のはずれというところか、ふと山中にまわりの景色にそぐわない、なんだかやたら青っぽい物が見えたのだ。

 距離にして1キロか2キロか。なにか物に引かれる思いで山道を歩いて、その青い物体に近づいた。どうも自動車のようだが、よくわからない。時は春爛漫(らんまん)で4月29日、5月1日、3日、5日と飛び石連休だったのを、課長に頼み込んで29日から5月2日迄の4連休にしてもらい、3日と5日は出勤して、市主催のいろいろなイベントへの応援ということにしてもらっていたのだ。

 で、きょうはその初日で自慢のキャノンUDを首から下げ、28,50,100ミリの交換レンズとネオパンSSを5本もリュックにいれて、こころうきうきと写真を撮っていたのである。500メートルほどに近づいて見ると、それははっきりと自動車とわかったが、それにしてもこんな山中に自動車が通れる道路はなかったがと思いつつ、なお近づくと、それは見たこともないスマートな自動車であった。

 しかも奇妙なことにヘッドライトがない。更に接近すると、なんと草むらの中にポツンとかっこいいというか、ルーフのない妙な自動車が姿を現したのである。

 これが世に言うオープンカーというのかも。それにしても何で、こんな田舎(いなか)の山中にオープンカーがと思い、少なからず気味が悪くなってきていたが、天気もいいことだし、思い切って自動車のところへ近づいた。

 庄原でもたまに乗用車を見るが、ほとんどはバスとバタンコとトラックである。中村メイコの「田舎のバス」(注:懐かしい音声がでます。)という歌があるが、まさにオンボロバスが時折走る程度の町に「なんと、こりゃーなんだ。」と自動車の周囲をグルグルまわって、ほんとうに感激した。

 色は目の覚めるようなクリスタルブルーで、車高は異様に低い。タイヤホイールもなんだかキラキラ光り輝く、すばらしいものだ。あたりに持ち主がいないかと見回したが、小鳥がさえずっているだけの静けさで、ときおり暖かい春の風が気持ちよく木々の間をササーと通り抜けて行き、自動車をとりまいている雑草が左右に揺れ、まさに極楽にいるような、春うららかな日である。

 先ほどからエッサエッサ歩いて来たので、いささか汗をかき、ハンカチで顔をふきふきボデーにさわって見た。太陽光をあびてほんのり暖かい。オーナーがいるはずだがとあたりを歩いて見たら、いたいた。

 木蔭(こかげ)にすわり込んでいる後ろすがたが見えた。どうやら、ボーと市街を見ているらしい。後姿(うしろすがた)なので、よくはわからないが若者のようである。茶色の野球帽をかぶり、上下とも青っぽい、一見作業服のような身なりだ。

 陽気に誘われて「も〜し、どうかされましたか。」と思い切って声をかけてみた。

「え、なに・・・・・。」その若者は少し驚いたように、ふり返りながら立ち上がった。これが、私と秀樹君の出会いであった。

 背は180センチを少し越えているか、スラリとした体で顔立ちは目鼻パッチリでなんとなく西欧風だ。顔色もなんとか小町のような色白の美青年というところである。

「いやー、はじめまして。私、倉本・パルメニデス・秀樹ともうします。」といいながら、ニコニコして手を差し伸べてきた。初対面の人に、えらく人なつっこい人だなあと思いつつ、わたしも「こちらこそ、はじめまして。高橋真悟といいます。」とついついつられて握手してしまった。

 それから2人はすわり込んで話をしたが、聞けば腰を抜かすほどの話の内容であった。彼はどう見ても、年令は24,25才としか見えないが、実は、100才を優に越えており、地球から離れること230万光年先のアンドロメダ銀河に住み、先祖はなんとここ庄原出身なのだそうだ。

 しかも、われわれの歴史で言うと、西暦2800年、つまり、今から約800年ほどの未来からやって来たというから、まさに安物のSF小説、H.Gウエルズの「タイムマシン」の世界である。

 ウエルズが安物と言っているわけではないので念のため・・・・・。職業はいわゆる宇宙飛行士で、彼の守備範囲は天の川銀河を離れること約20億光年先きの、地球ではまだ名前もつけられていない大銀河団の調査が仕事というから、あいた口がふさがらない。

 秀樹君は調査の合間をぬっては、休養を兼ねて、4〜5年に1度は地球にもどって、こうして10日間ほど、庄原周辺でボンヤリ風景をみているのだそうで、この田園風景が1番の休養になるということである。

 もう7〜8回ここらあたりに来ているが、まだ1度も市街は歩いたことがないと言う。景色を見ているだけで楽しいのだそうである。

「私は、役場に勤めています。歳は35才で、妻1人、子供が2人の生活です。」というと、

「妻はたいてい1人ではないですか。」と、にやりとしていうので、

「いやー、それはそうですね。」と大笑い。

 「ところで、あなたの話を聞いていると、全く夢みたいな話ですが、この自動車はそのアンドロメダ銀河とかいうところから乗ってきたのですか。」

 「えー、フル加速で7時間もかかりますがね。」とこともなげに言う。

 「ちょっと待ってくださいよ。いまの科学では光速より速い物体は考えられないのですが・・・・・。」

 「はつ、つ、つ、光速より1000倍だろうが、10万倍だろうが、そんなのは、わけないことですよ。あそこのロードスターは最高速12万パーセク、つまり時速36万光年出せますよ。1パーセクは約3光年の距離ですから、えーと、キロに直すと約30兆キロかな。」

 「・・・・・。」

 「それに、ロードスターの原型はこの広島で作られたんですよ。」

 「本当ですか、あの車のロード・・・・・。」

 「ロード・スターといいます。マツダが作るのですよ。今から大体、えーと・・・・・。」

と上目づかいに計算しながら、「大体、35年後くらいにユーノス・ロードスターという名で売り出されるのですよ。」

 「本当ですか。日本は見ての通りの貧乏国なんですよ。」

 「安心してください。わたしの先祖は世界でも有数の大国になり、21世紀にはアメリカを抜きますよ。というよりも、アメリカが自分でずっこけて崩壊するので、なにもしないのに日本がトップになるのですよ。」

 「全く信じられない話ですが、まあ、そう信じて生活しましょう。現実には食事1つとっても、私の食事はここ2〜3年、少しましになりましたが、それまでは、メザシにみそ汁、つけものにご飯というのが、ふつうだったんですよ。」

 「そうですか。なかなか健康的でいい食事と思いますが・・・。ところで、缶コーヒーはいかがですか。」と秀樹君が差し出したのは、見たこともない容器に入った飲み物で、教えられたとうりにして開けると、とてもいい香りのコーヒーが鼻をついた。

 飲んでみると、結構熱くて、三次や庄原の喫茶店には悪いが、今まで飲んだどのコーヒーよりもまろやかでコクがある。2人はコーヒーをすすりながら、眼下の町の風景を見るともなく見ていた。

 「いいコーヒーですね。」

 「この缶コーヒーも日本の発明なんですよ。」

 「へー、これもね。たいしたもんだ。山の中でおいしいコーヒーが飲めるなんて、まるで夢みたいですね。」

「少しほめすぎですね。」といいながら、足元の雑草をむしり取り、鼻の先をコチョコチョやっている。

「ところで少しドライブしませんか。」とくしゃみをしながら秀樹くんは言う。どう見ても私よりはっきり5〜6才は若く見えるので、(くん)づけのほうが呼びやすい。

「やあー、いいですね。ですが目立ちすぎてまずいのでは・・・・・。」

「いやいや、これを見ている人は驚きますが、見た本人には何の記憶も残っていないので、全く問題はありませんよ。」

 「と言いますと・・・・・。」

 「つまり、私やあなたやロードスターを他の人が見ても、その間の時間は消えてしまって、見た本人は、あれ、おれ何してたんだろうという感じになるのです。あなたも今、私と話をしていますが、この会話も、この車も私も何も覚えてはいないということになりますね。」

 「絶対忘れない自信がありますがね。」と私は本気でそう言った。尻をおもいきりつねって痛かったので、今起こっていることは、夢ではないと確信したのだ。

 「は、は、は、高橋さん頑張(がんば)ってください。さあ、では出発しましょう。」

 「なんだかウキウキしますが、どうやってこの草むらの中を走るんですか。」

 「まあ、乗ってください。いいですか。」と言いながら、エンジンをかける。ブルーンという軽快なエンジン音だ。アクセルをふかすとブン、ブン、と小気味良くうなる。いやー、なかなかいいなと思うまもなく、ふわりと地上30センチくらいのところまで浮いたのにはびっくり。

 「えー、なんなのこれ。」とスットンキョウな声をあげた。ロードスターはスルスルスルと草むらをかき分けながら進み、1〜2メートルの潅木(かんぼく)のところは、その高さに上下して、乗り越えていくのは、幻想的な感じである。しばらく下降すると、広い山道に出たので、タイヤ走行に切りかえたら、とたんにボデーを通じて、ガタンゴトンと自動車らしい走りになった。

 5分も走ると人家が見えてきて、すれ違う人がみなびっくりしたように車をよける。そり、びっくりするだろう。屋根のない乗用車なんて、皆、初めて見るし、色もハデハデのブルー、しかも宇宙的スタイルのオープンカーなのだから。ものの3〜4分走って、ようやく簡易舗装のメイン通りに出た。

 しかし、予想通り、すれ違う人が全部が全部あきれかえったようにふりかえる。なんだか愉快ではあるが気恥ずかしいので、「これ屋根はないの?」と聞くと、「屋根?

あー、ルーフね、ありますよ。」と言いながらスイッチらしいものを押すと、うしろからスーと黒い布製の屋根がかぶさってきてパチンといって、我々は密閉された。

やれやれ、これで少しは恥ずかしさもやわらぐなと思う。秀樹君はアチコチを物珍しそうにながめて運転するので、危なっかしいことこの上ない。

「丁度、昼時になったので、どこか喫茶店で食事にしますか。」というと、「O.K、O.K、大賛成!」との返事。庄原の駅近くの喫茶店に入る。駐車場なんて気のきいたものはないので路上駐車だ。

 「ちょっと、その服装では目立ちすぎるので、これを着てみてよ。」と私は上着を脱いで渡した。細身の彼には胸回りは丁度よかったけれども、伸長差が10センチ以上あり、手元が少しチンチクリンになってしまったが、まあ、我慢してもらった。

 店は行きつけの喫茶店だったこともあって、「あら、お珍しい。しばらくごぶさたでしたね。こちらの方は。」とマダムがいう。「うん、むかしからの友人だよ。えー、私はいつもの定食ね。ヒデ君はなんにする?」と聞くと、「私も、なんだかわからないが定食ね。」とメニューも見ずに定食を注文。

 「O.K,お姉さん、定食もう一つ追加ね。」「はーい。」と厨房から返事。5分ほど待つと、焼き魚にボリュームのある野菜、豆腐にワカメ入りのみそ汁、たくあん、それにライス大盛といった質素ではあるが健康にはいい定食が、2人の目の前に並べられた。

 すると、秀樹君、大変珍しいものでも見るように、たくあんをはしでつまみあげ、シゲシゲながめていたが、鼻先にもってきて、「オー、ノー。」 の一言。豆腐入りのみそ汁は恐る恐るながら食べていた。

 野菜はペロリとたいらげていたので、「お姉さん、野菜を多めに追加してあげて。」と大声でいう。「承知しました。」といって、2〜3分もしないうちに山盛りの野菜とサービスとして果物がテーブル上に並べられた。

 そのうちに、表通りが騒がしくなってきたので、「お姉さん、何かあったの?」とまた大声でいうと、マダムは外に飛び出し、少しして帰ってくると、少々興奮気味で、

「なんか、へんな自動車があって黒山の人だかりになっとるんよ。」と広島弁で報告。

やや、しまったとばかりに、2人は食事を切り上げ、外に出る。

「お姉さん、付けといてねー。」「えー。もう帰っちゃうの。まだ。残ってるじゃない。」と言われたが、食べるどころではなかった。

 なるほど、30人ほどの人がロードスターを取りまいて、ワイワイガヤガヤやっていたので、2人は「やー、すみません。」といいながら、はやばやと乗り込み、群集の中をすり抜けた。

 「やれやれ、やっぱり目立つんだね。」といいながら愛用のゴールデンバットに火をつけた。室内にモーモーと紫煙(しえん)が立ちこみはじめたので、オープンにしてもらう。

 またまたさわやかな風がそよぐ。こうして、20〜30分くらい、庄原周辺をかけめぐった。ほとんどが舗装されていない道であったが、時速40キロくらいでながしたので、乗心地は快適だった。どこの田んぼも田植の準備に忙しい。

 「この風景、この景色、この空気、これこそ私の理想とする、人のすむ究極の場所なのです・・・・・。」運転しながらなんだか、秀樹君は涙ぐんでいるようであった。

 私にとっては、毎日見慣れてるなんの変哲(へんてつ)もない景色であるが、宇宙とはさびしいところなのかなあと思い、話しかけては悪いかなと、しばらくタバコばかりをふかしていた。

 しばらく走っていると、むこうから、バタンコがもうもうと砂けむりをあげながら、すっ飛ばして来たので、秀樹君はスイッチを押すと、オープンのままなのに、今まで、そよ風があたっていたのが、パッタリ止まり、砂けむりの中に突っ込んだにもかかわらず、砂一つ室内に入らなかった。こんなところが、並みの自動車と違うのかも。やがて、景色を充分堪能したのか、

 「高橋さん、どこかほかに行きたいところがありますか。」と話しかけてきた。

 「そうですね、庄原の景色は私には珍しいものではないですからね。どこでも行けるのですか。」

 「えー、どこでも。たとえ月でしょうが、火星でしょうが瞬時に行けます。」

 「火,火星ね。」あまりの奇想天外な提案に返答につまった。

 「えー、火星のドライブもオツなもんですよ。」

 「いや、勤めもありますし、い、いまは火星はけっこうですよ。」

 そうだ、三段峡がいい。昨年の秋に行ったあの峡谷の美しさは、両サイドを埋めつくす落葉樹の林の黄葉と相まって、たとえようもない風景だったが、上流にダムがあるために水が濁っていたのを大変残念に思っていた。あー、これが透明であったら、天下一品なのにと思ったものだ。

「あのー、この車は昔の世界にもいけるんですよね。」

 「もちろん、どこへでも。現にこうして、私は1800年の未来からやって来ているのですからね。たとえ高橋さんがまだ庄原の日本猿だった1000万年の昔にでも行けますよ。」どうも秀樹君はオーバーに言うくせがあるようだ。

 「またー、私が日本人だからといって、先祖が日本猿とは限らんでしょう。1000万年前はともかく100年くらい前の三段峡が見たいですね。ただ、道はまったくないとは思いますが。」

 「道は関係ないですね。えーと、100年前というと、いまが1955年だから、1855年ですね。O.K、O.K, どうです、途中の景色も見ながら行きますか。」

 「ぜひ、そうしてください。」

 「高度100メートル、速度100キロ、時は1855年11月えーと、天気の良い日は2日が快晴ですね。では11月2日午後3時に着くようにセットしましょう。50分ほどで三段峡に着きますよ。」