エピソード2( 木星の別荘でのらりくらりかな) ヒデキ君のメモ

 

 本来、高橋さんが書くべきかもしれないが、何しろ彼は地球に戻ればすべての記憶が消えるらしいので、私、倉本・パルメニデス・秀樹がある程度捕捉して記録しておこう。さて、先ほど木星の天空の別荘と書いたが、少し述べると、木星の上空にある別荘地で

私を例にとると、敷地面積は宮島(30)ほどあり、個人としては結構広い。望めば佐渡ガ島(約850)ほどの土地でも住めるが興味はない。 

 なにしろ、若いころから庄原の山あいがお気に入りなので、広いばかりがいいのではない。ごく普通の人でも木星の別荘なら10(3.2×3.2km)の広さはあるので、自分の敷地を一周するのにウォーキングで2時間近くかかる。

 なにしろ無限の土地の上、重力が地球と同じように調整されているので全く不自由はない。しかも10層くらいの多段式になっているので、無限の土地×10=大無限となる。大無限という言葉はないかも知れないが、要するに、土地は地球の数千万倍以上あるので好き勝手出来るが、やはり税金がかかるので無限というわけにはいかない。

 みんなの平均年収は3000万円(西暦2877年)ほどだが、それでも、淡路島(600)位で固定資産税は維持費込みで10万円ほどだからタダ同然だ。だが、四国(2万㎢)ほどの土地を望むと年3000万円ほどの税金だから一部の人しか持てないがそれでも安い。

しかし、5人家族でそんな土地に住んでもどうしようもないし、そんなことを望む人はほとんどいない。

 空気も日光もすべて地球に合わせてあるので違和感はあまりない。地球が恋しくなれば、木星ステーションから10時間ほどで地球に着くので、通勤している人もいるほどだ。私のロードスターなら6時間ほどでアンドロメダに着くが、あれは軍用でとても個人では持てない。

 農作業はすべてロボット任せで、300体ほどのロボットが精を出していろいろな作物を作っているので、ほとんどの別荘は自給自足だ。医療面も具合が悪くなれば、軽症なら医療ロボ、重病ならば、巨大な医療バスが、まるで病院ごと移動したように設備を整えてドクターを10〜12人、看護婦が数十人とともにやって来てくれ、保険があるのでこれまた安くつく。

もちろん、別荘地とはいえ、病院どころか、何でもそろうスーパー、デパート、専門店が広大な敷地にひしめいている場所もあるので、そこで買い物や何やかやといるものを買うことが出来るし、にぎやかなのでいろいろな遊興施設もあり、老いも若きも楽しむことができる。移動はヨタハチのような小型車や小型バスのような箱型乗用車がほとんどで、もちろん空中飛行可能だ。

 また、別荘そのものについて述べると土台となる地面は厚さは平均50m(つまり50m掘って運が悪ければ木星に落下と言いたいが、自動装置があるのでそれはない)少し高級

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なものになると厚さが200mほどのものもあるが、それは強固なビルを建てるための土地で、個人別荘ではせいぜい厚さ80mだ。森林を望む人に80mタイプが多い。

 先ほど10層になっていると言ったが各層の間は軽く3000kmあり、各別荘の間隔は

500mは離れているのでお互いの土地が邪魔(じゃま)することはない。中には「星の王子さま」の様に星一つ欲しいと駄々(だだ)をこねる人もいないではないが、それはよほどの金持ちでないと望めないし、税金もとび抜けて高くなるので、まだ数百人しか所持していないし、3代と続いている人は今現在数人である。相続税が高いのだ。食料、日用品は月2回はいろいろな業種の業者が一括(いっかつ)して配達してくれ、通販もあるのでこれまた、すべてが間に合う。

電力等の熱量は太陽から得ることができ、水は循環するように設計され不足することはあり得ない。その他、木星そのもののガスからも有益なものが得られるが、これは専門業者でないと処理できないだろうね。

大気は高さ約50kmの高さまであるので宇宙からやってくるチリ、ホコリはもちん有害な宇宙線や太陽光線もシャットアウトだ。もっと大きい物質は自動レーザーが破壊するし、さらにでかい鉱物質(隕石(いんせき))は国が処理してくれるので安心だ。

 庶民の別荘はどんな生活かというと生活の主体は木星の都市部や工業地帯や商業地帯にあり、それもすべて広大な敷地があるので、とりわけ工業地帯は邪魔にならないように木星本体に1番近い層にある。

 厚さはほぼ500mで、どんな工場でも建設可能だ。あらゆる種類の工場が可能で何でも作れる。資材は宇宙から簡単に調達できる。たとえば、あなたが個人の家を建てる「建築会社」を経営したいと思えば、マニュアルは公開されているので、安い材料で建設できる。社員のほとんどはロボットで人はほとんどいないので人件費も少しだ。内装、外装は人によるデザインにすると高くつくが、ぜいたくを言わなければ必要最低限は用意されているので、住むには不便はない。販売は人によりけりで売れ行きのいいところもあればパッとしないところもあるがそれは腕次第だ。たとえ売れなくても最低限の生活は保障されているので、路頭に迷うことはない。

 国民を経済的に 非常に裕福、裕福、普通、やや貧しい、貧しい の5段階に分けると

貧しい人でも、以前書いたと思うが 敷地800u、建坪300uの家に住める。貧しい人の最下層でもその半分の空間はあるので、せせこましい感じはあまりしない。貧乏というのは比較のものなので、周りが大金持ちばかりが住んでいれば、裕福な人でも貧乏感を味わうことになる。

さて、以上のことは地球上の事でもあるが、木星上空ともなれば、家とは別に広大な別

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荘も持てる。私が宮島(30)ほどの土地でのらりくらりしているのはそれほどぜいたくではないのである。そう、貧しい人でも10㎢( 約3.3×3.3m)の土地にロボット30体ほど従えて、マーマーの暮らしはできるのだ。

話は変わるが昔懐かしい高橋さんと会ったことも書いておこう。この木星の天空の別荘に高橋さんを招待したのは私が引退して数年経ったときのことだった。高橋さん自身は100歳を超えて、再度、宇宙旅行したことはまったくもって覚えているはずはないので私が代わりに述べているわけだ。

私自身は50歳プラスしても、ほとんど外見は変わらないと思うが、高橋さんが事故に()った時、私がたまたま銀河に勤務していたため、即、駆け付けて救助したのは、つい、先だってのことに思えるが、もう30年も経っているんだね。高橋さんも100歳を越えているはずだが、前回、細胞が数10年は若返る光線を与えているので、今もあまり変わらないだろう。 

 で、ロードスタ―で彼の自宅に迎えに行き、私の別荘に招待したのだが、彼はやはり少し年齢を感じさせたがそれでも50〜60歳くらいの元気はあるようだ。本来、105歳なのに50〜60歳の若さで、しかもファミリーが全員若いのでかなり以前から近隣で注目を()び、時たま、全国区のテレビの取材を受けているようだ。

 高橋さんは私が何かしたらしいと感じたているが、本当のところはさっぱりわからないので返答に(きゅう)しているようだ。

 そして、今はほぼ常駐しているこの別荘(「ビラ、ヨタハチ」という名にしている。あの20世紀の名車トヨタS800だ )にもお連れしたのだが、彼に別荘を理解させるのに、結構時間がかかった。それはそうだろう、今ではアンドロメダのトリトンに地球の人から見れば、超豪華な本邸あるのに、なぜ、わざわざ不便な天空に住むのはと思うのだろう。別荘の概要を述べると、広さは約200㎢だから、マ、広島にある宮島を少し広くした大きさだ。この天空の別荘は、小なりといえども山あり、川ありで自然の風景が広がっている。建物そのものは1000坪ほどの2階建てなので総建坪は2000坪(約7000u)でファミリーで住むには木星では決して広いものではない。

 軍人の年金は少ないとはいえ、将軍クラスはやはり庶民に比べると高額になる。将官クラスとなると3人ほどの人が国から派遣され人型ロボットではできない細々(こまごま)としたことをして働く。人型ロボットは20体も与えられるので、引退後も全く不自由はない。

 庶民も年金生活(190)に入ると最低でも人型ロボットが5体が与えられるので、左うちわだ。その他作業ロボットは多い人は30体ほどが与えられる。

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 私は退職元帥の中でも最も少額だが、上記の人員、その他で暮らしている。それでも100m×100mほどの池があり、ここだけは四季があるように設計してあるためか、いろいろな鳥がやってくる。とは言え、狭い島内なので、種類はせいぜい5〜6種類で隣の敷地にはあまり行くことはない。一応、大気はすべてつながっているので飛ぶことは可能だ。水は循環式のため、常に無色透明であり、一番深い5mのところでも底がくっきり見える。水鳥のため様々な魚も泳がせている。はじめは食用の魚も泳がせていたが、愛情がわいてきたせいか、釣って食べるのはやめて、今ではネットで注文し、10日に一度くらい配達してもらっている。

 孫(と言っても曾孫(ひまご)孫孫(そんまご)、その孫の孫)だけでも100人以上いるので、15歳までに限定して言うと、女の子にはお(ひな)様のために広い1室が設けられ、男の子には55日前後は大きな(こい)のぼりをあげ、近所の子供たちを集めてお食事会をやる。

 このところ、近所の家でも同じような事をやるので、2030軒が話し合って、お食事会をずらして、およそ2週間ほどは、毎日がお正月になり、ごちそう三昧(ざんまい)の日が続くので3月と5月は子どもたちにはうれしい日々が続く。日頃がどちらかというと、さびしい天空の別荘地なので、子供たちにとっては特別、楽しい思い出になるようだ。

 私の家のひな(だん)は少し()っていて、定番のサトーハチロー作詞、河村光陽作曲のあの20世紀の名曲「ひな祭り」が、ここ木星上空にこだまするわけだ。それに私の家のおひな様は少し大きめで、スイッチを押せば5囃子(ばやし)の笛、太鼓(たいこ)(つづみ)、歌い手にあわせて実際に踊りだし、右大臣やお供はおろか、なんと、上段のお内裏(だいり)様とお姫様までが踊りに加わるというにぎやかなひな祭りなのだ。それにつられて、招待された近所の78歳以下の子供たちも浮かれて参加するという、なんとも陽気なひな祭りなのだ。そうしているうちに、曲が28世紀のはやり歌というか子供向きの有名曲に代わると、今度は10歳以上が加わって、どんちゃん騒ぎ、そのため庭で遊んでいたモカや番犬のコン()、サブローもやってきてワンワン、ニャーニャーと犬は喜び庭()け回り、猫はお部屋で走り回りだす世界となるため、近所では子供たちのもっとも有名なイベントになっている。

 ご近所で、先祖が日本とあまり関係がないボルデさんは、この風習が気に入って定番の曲

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以外に2128世紀に流行した、いわばセミクラシックも採用して、大人も子供も盛り上がっているようだ。和服を着た人形がロック調で踊りだすのはなんともはや。

また、5月の鯉のぼりも高橋さんの所の78m位の長さの竹に2m程の鯉を泳がすのと違って、50mほどのポールに78mの鯉を10匹ほど泳がせていたが、バタバタとうるさいので、いまではスタンダードに風車、吹き流し、真鯉(まごい)緋鯉(ひごい)(あお)(こい)だけにしている。これもひな祭り同様、近隣に大いに広まり、30軒先(とはいえ1軒の敷地が広いので30kmほど離れている)のスピノザさんの家のように10mほどの鯉が10匹以上、ポールにつながれているのではなく、庭中,空中を自由に泳ぎまわっているのもいる。こうなると、もはや5月の定番の「鯉のぼり」ではないと思えるのだが、本人たちが楽しんでいるので、それでいいのだろうね。このように高橋さんには2度に渡って来てもらったが、彼の記憶には全く残っていないだろう。高橋さんは2つの祭りともあきれ顔で見ていたが、特にひな壇の人形がすべて踊りだした時やスピノザさんのところの巨大な鯉が庭の空中を泳ぎ回るさまはあごが外れたようだった。妻の寿子(としこ)もいろいろな行事に参加して、とても200歳を越えているとは思えない。彼女の自家用車の1台に先ほども書いたようにトヨタS800(通称ヨタ8でこの別荘の名 ビラ・ヨタハチも、この車からとったものだ。)に乗って気軽にあちこち走り回っている。S800は見た目は20世紀に発売されたスタイルそのままだが、仕様はまったく宇宙走行に合わせてあるため、機能上に不満はないし、私もよく利用している。かわいいミニカーともいえる車だが、地球までフル加速で8時間はかかるので、ロードスターほど速くはない。高橋さんを迎えに行ったときにえらく気に入り、ロードスターより気に入ったようだった。空冷のプルンプルンというのが(しぶ)いそうだ。中身は重力装置なのだが音は20世紀のままにしているのだ。

 

 話変わって、ここから私ではなく、高橋さんによる話になるが、マ、どちらが話してもいいような気がする。で、庄原市の中心から離れたところに小さな小学校があり、集落もあるがそこから更に3kmほど離れた一軒家に一家5人で住んでいる岩本みかのちゃんちがある。代々、農業で暮らしてきたと言いたいところだが、戦後の農地改革で自作農となったので生活は苦しい。都市部の生活保護を受けていた人より、実質的には貧乏なのではなかろうか。田畑は合わせても2000坪あまりでとても農業だけでは食べて行けず近所の農作業や林業、土木工事の手伝いで、早い話がその日ぐらしに近い有様。冬の暖房も1000坪ほどの裏山でとれる(まき)が主体で炭やタドン、練炭を買う余裕はほとんどなく、同じ山で採れる柿、栗いちじく、桃などが季節にはよっては食べることができる。また、元地主さんが、よく働い

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てくれたと言って、特別に鉄砲もひそかに譲ってくれた。なんでも駐在所にバレるとまずいとか言う話だ。弾は300発ほどもらったが、使い始めたのは56年前の事で、それまではイノシシや鹿がありもしない田畑をやりたい放題するので、ある年仕方なく発泡射殺して、解体して食べたら、効果てきめん、当分、近寄らなくなった。それでときおりドーンとやるので近所の人から喜んでもらえる。何しろ、戦時中、南方で兵隊として1〜2年さ迷いいろいろなものを食べた経験があり、知らずに毒蛇も食べたら、体がカッカ、カッカほてってまいったことがある。そんなわけで鉄砲も打て、たいていの動物の解体もできる。

 さらに、近隣からも発泡依頼があり、いい小遣(こづか)(かせ)ぎになっているため、地主さんのところに行って話をするとさらに500発も譲ってくれたので、10年近くは狩りができそうだ。地主さんは戦前からコソコソ弾をためていたのだろう。また、みかのちゃんにはわんぱく盛りの弟の陽太郎がいるが、彼も近くの小川に行って、時折小魚、時にはアユまでも釣ってくるので、100羽近く飼っているにわとりの卵と合わせて、栄養的には不足してないようだ。

 それでも、粗末な衣服や壊れそうな茅葺(かやぶき)屋根はやはり豊かな暮らしとはいいがたい。こんな話をいつだったか、飲み友達に話したことがある。その相手というのがどうもヒデキ君だったらしい。後日、会ったとき、かつての尋常小学校の唱歌「わたしのうち」というのを、みかのちゃんとよく似た生活だよとメモして渡した相手もキデキ君だったのだろう。 

 昭和7年の文部省唱歌とかで作詞者はわからないし、作曲は失礼だが凡庸(ぼんよう)なものだった。小学唱歌は作詞作曲者が不明なものが多いいのだそうだ。なお、本文は旧かな使いなの

で新かな使いにして渡した。

わたしのうち

 

1  もえる木のめに春風吹けば   うちのまわりの梅、桃、桜

 

    かわるがわるに花咲きみだれ  人も来て見る、小鳥もうたう。

 

2  うちの前には、小川が流れ  舟もうかべば、あひるもうかぶ

                   

    つりも出来るし、およぎも出来て  あつい夏でもすずしくくらす。

 

3   つゆや時雨(しぐれ)が、色よくそめた  うらの小山に秋風吹けば

 

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      ()()(しずく)もきのことなって  ばんの御飯のおかずにまじる。

                   

4   松をのこして、木の葉がちれば  庭は一日、日がよくあたる

 

     本のおさらいすました後は、  枝につるしたぶらんこ遊び。

 

「なんだか自分の少年時代によく似た生活で大変懐かしい気がする。これはある意味、最高の幸せの一つと言えるね。私も引退しているのにいろいろな会議や集会、この歳になっても戦争にも引っ張り出される生活は決して望ましい生活とは言えない気がする。せめて、少年少女の時代はどこの世界に住むにせよこういう環境が望ましいと思う。」と自分の交響楽団(ロボットだけど)を持つヒデキ君でさえそう感じるのだろうか。

 この楽団員はロボットとはいえ、コストが高くつくので、例の「ボンタンあめ」の利益で運営して、近隣の人々にほとんど無料に近い代金で演奏会を月に1回ほど開き、楽しんでもらっている。

 さて、本題に入る。私から見ると、少々貧しいのではないかと思える岩本みかのさんちの事だが、お母さんが台所で夕食の用意をしているときに「お母さ〜ん。」とみかのちゃんが呼ぶので「な〜に。」と返事すると「10億円もあるよー。」となんだかわけのわからないことを言うので、「あったらいいわねー。」と適当に答える。しばらくして、また、「本当に10億円通帳に入っているわー。」と大きな声がするので「忙しいのにバカ言わないで。」と布巾(ふきん)で手をふきふきみかのちゃんに近づくと「ほら、見て!」と広島信用金庫本店経由で三次農協本店になにやら〇が多い数字が書かれている通帳を手にしている。「子供が見るものではありませんよ。」と言いながら見ると「あら、本当!」と目をパチクリしながら「え〜と、いち、に、さん、しー」。とゼロの数を数えるといつもは数万円の数字がズラっと並んでいるのに、そこだけは1,000,026,572とそこだけなんだか様子が違っていたので「何かの間違いでしょ。お父さんが帰ったら聞いてみるわ。」で話はおしまいになった。

 それから、お父さんが林業の手伝いから帰ってきたが心当たりはないということで、翌日、仕事を休んで、自転車で当時はまだ未舗装(みほそう)のデコボコ道を走った。着いて受付に行くと、

 すぐ別室に通され、組合長にあわされた。話を切り出そうとするといきなり「10億円の件でしょう。」といわれてびっくり。当時(昭和30年頃)は100万円もあれば家が1軒建つ時代だったので10億円は田園の金融機関としては超高額の金額なのだ。「半年ほど前に振り込まれたので、どうしたものか日本銀行や警察に極秘に相談したものの、金額が多すぎ

 

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出所(でどころ)が問題になったのですよ。」

「出所と言われても、全く見当がつきませんね。」とお父さん。「もう、利子だけでも数百万円になり、10億円は当組合の資本金を越えてますからね。」

それから、すったもんだの末、庄原市の職員に一人、不思議な体験をした人がいるので、聞

くだけは聞いてみましょう、ということで、まわりまわって、私、高橋慎吾に、落ち着くことになったそうだ。

 その経緯(けいい)を聞いても、私もチンプンカンプン。私が不思議な体験をしたのは1955(昭和30)だから、時代はほぼ一致する。いろいろ考えてみたが、そんな不思議な事があるとすればヒデキ君しかいない。ヒデキ君とは庄原のバイク事故以後全然会っていない(本当はその後、数回会っているが思い出せないだけ)ので返答のしようがない。

 そこで組合長に1時間にわたり、私の不思議な体験を話したが、いつものことだが全然納得してもらえなかった。「つまりヒデキ君なら、本物と全く同じ偽札(にせさつ)だろうが、本物のダイヤだろうがわけなく作れます。しかしそれは西暦2800年頃の未来の人の話で、誰に話しても本気にしてもらえず、もうあきらめています。だが全宇宙の様々な岩石を集めるのを趣味の一つにしているので、様々な珍らしい宝石の原石の一部を、この地球に持ってきて売れば10億や100億円はわけなく手に入れることができるでしょう。おそらく、ヨーロッパのどこかで売ったのだと思います。多分、ヒデキ君が感ずるところがあって、その人、え〜と、岩本さんの通帳に振り込んだのでしょう。」  

 ということで全く納得してもらえなかったが、その後、元金10億円は保留して、利子だけを岩本みかのさんちに振り込まれているようだ。利子の9割は自分と似た境遇の人たちの施設や財団を通して寄付しているので付近のファミリーにひどい貧乏な家は見当たらなくなっている。

 その事を、後日、なにかの話のついでに私が伝えたようで「よかった、よかった。」とヒデキ君は喜んだが、私にはそのこと自体が何のことやらよくわからず、また記憶にないことだ。ヒデキ君は先のオバサン猿人との戦争で特段の功績をあげたようで、特別待遇になっているようだが、そんなことは微塵(みじん)も感じさせないし、私には普通の青年にしか見えない。彼とはいつ会えるかは知る由もないが、私ももう平均寿命をはるかに超えたので、もはや会うことはないだろう。不思議と寂しさは感じず懐かしさだけを感じる。

 

 

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