はじめに

再編集をしているので、この18回から「ウオーキング」スタイルを取り始めたことがわかった。それまでは、見てのとおりで、6枚ひと組でなるべく多くの町村を展示していたのです。昭和54年(1979年)撮影で、今から30年前の写真なので、3〜4年前に公開したものでしょう。
 さてこの「横川〜可部・撮影ウォーキング」だが、10時10分横川駅を出発して、18時10分に可部の中島駅に着いている。所要時間はちょうど8時間で、当時としてはごく普通の撮影時間だ。写真に番号を振っているが、これはアクセス数がちょうど1万回になったのを記念して、クイズ方式を採用し、当選された方に商品券を差し上げたのだ。
 たしか4人しか応募がなかったので、各人に1万円の商品券を送付したが、パソコンの先生は邪道なので、やめた方がいいとのアドバイスだった。本当は2万アクセスのときもやりたかったが、資金不足なので中止。
 話が写真からそれたが、ほとんどの撮影に通じることだが、この「横川〜可部・撮影ツーリング」も覚えているのは、放水路の河川敷のぽかぽか陽気の中で家族ずれの人たちが楽しそうに遊んでいたことと、クイズの正解にした野壷くらいだ。その野壷のあった佐東町の中調子(なかじょうし)には私の遠い親戚があり、昭和20年代から30年代の初めのころまで、そこのおじさんが、私の家(当時は白島)にぽっくりぽっくりと馬を引き連れ、肥やしを取りに来ていました。しかし昭和30年代のいつだったか、道路が舗装され、橋の登りで馬が滑ってうまく歩けないから、そろそろ肥やし取りは勘弁してほしいと言うことで中止になったのを覚えています。そのころは佐東町ではなく、たしか、川内と言っていた気がします。
 またまた、写真と関係のない話になりましたが、要は昭和20〜30年代の半ば頃は白島にも馬車が歩いていたのんびりした時代だったということです。           (平成21年9月4日)