昭和24年ごろの白島

 

白島もこのところ相当変貌し、昔の面影はない。昭和24年春に天皇が九州行幸で汽車で広島通過することがありました。当時、電電公社(いまのQガーデンか)の近くの路上で遊んでいたことがあり、当時、6〜7歳だった私は周囲の雰囲気が異様なことに気づきました。30人ばかりのじーちゃん、ばーちゃんが全員、羽織袴で正装して地べたに正座し、鉄道のほうを向いているではないか。

 当時はあまり家が建っておらず、電電公社(いまのQガーデンか)付近の道路からも汽車は見えたのである。やがて、列車が通り、馬鹿ズラこいて、目を皿にして、列車を見たが何か人が立っているような気がしたけれども、とても天皇かどうかわかるはずもない。やがて列車は通過したので、周りを見ると先ほどの大勢のじいちゃんばーちゃんは地面に平伏したままだった。要するに、天皇を一目も見ることはなかったに違いない。当時の人には天皇は見ることさえはばかられることだったのだろう。

 デ、何が言いたいかというと、昭和24年頃は、白島と言えども、家はほとんどなかったということです。ついでに言うと、八丁堀の福屋デパートの屋上は遊園地になっていて大型双眼鏡(有料)があり、それを使って、泥棒が牛田方面の金のありそうな家を捜しコソドロするうわさがありました。

それほど視界をさえぎる人家がなかったということです。

( Qガーデンから山陽本線はグーグルで見ると約200mほど、福屋屋上からだと約2km)